広げた手のひらに落とされたのは小さな小さな数粒の種だった。
おや、花の種だね。バラかな。なんとなく見知った形をしているのでそのように言うと、彼女は空に輝く星のように瞳をきらきらさせて頷いた。
「このわたしにバラの種をよこすなんて」
君は本当にいい度胸をしているなあとアフロディーテは笑う。
すると彼女は今度はそれはそれは嬉しそうにはにかんでから、噛みしめるように言うのだ。
「前に、アフロディーテ様が私にくれた花の種があったでしょう?」
その言葉で、ああ、とアフロディーテはいつぞやに彼女にくれてやった種があったことを思いだした。
以前、戯れに芽の出るかわからない花の種を渡したのだ。
女神はおらず、偽りの教皇をそうと知りながら仰いでいた頃のことだ。
なにも知らない無邪気な少女のようだった彼女は、アフロディーテが少しばかり聖域を不在――永遠に不在になるはずが、どうしてかこうして戻ってきている――にしていた間に見違えるように可憐な一輪の花となり。
さて、そんな彼女に負けじと、あの種もまた芽を出したようだった。
神々の御手により甦ったアフロディーテとの再会早々、鉢植えを抱えてきた彼女の得意げな顔といったら、もう。
「あの種が育って、花を咲かせて、また種を実らせたんです。それが、これ」
今度は私からあなたに。
アフロディーテは目を瞬かせる。もうそんなにも季節はめぐったのか。
小さな種が芽を出し、葉を広げ、花を咲かせて新たな種を落とす大地に落とすほどに。
ふいに手のひらの種が心地良い温度と重みを帯びたようだった。
アフロディーテはそっと種を握り、ありがとう、と笑った。
次にこの種が芽吹いた時に告げようと思った。この心で綻びつつあるたったひとつの想いを、彼女に。
(終)